INTRODUCTION

心臓に病を抱えて生まれてくる赤ちゃんがいる。
先天性心疾患と呼ばれる、心臓や血管の形に何らかのボタンの掛け違いが生じる病だ。
 
日本では約100人に1人の割合で誕生している、そんな赤ちゃんを救うための手術を、胸部外科学教室の根本慎太郎教授は長年にわたり手がけてきた。ただ根本教授は、現状の手術にどうしても満足できなかった。
 
なぜなら赤ちゃんはどんどん成長するのに対して、手術に使われた材料は成長しない。そればかりか材料が劣化してしまう。
そのため数年後に再手術で交換が必要となるケースが多くあるのだ。
 
子どもたちの健やかな成長を支援するためには、どうすればよいのか。
根本教授が選んだのは、まず研究を進めて、その成果を自ら製品化して手術室に持ち込む道だった。

先天性心疾患の子どもを救いたい

先天性心疾患では、肺動脈の血管などが細くなっているケースが、多く見られる。

そこで、肺動脈を広げるために血管の狭いところを切り開き、
そこに修復パッチを当てる。問題は、このパッチの材料にあった。

材料は大きく2種類に分けられ、ウシの心臓など生物由来のもの、
もしくは人工のフッ素系工業製品が使われていた。

「赤ちゃんは、急速に成長していきます。ところが人工素材が成長するはずもなく、一方ウシの心臓は時間経過とともに硬くなり、縮こまってしまい、血管が狭くなります。
そのため、赤ちゃんのときに手術を受けて苦しい思いをしているのに、また数年後には手術を受けなければならない子どもたちがたくさんいます。
再手術は、受ける本人はもちろんですが、ご家族にとっても負担となります。だから、何とか一回の手術で終わらせてあげたいと思ったのです」

手術を一回で完了させるために何が必要なのか。臨床で毎日のように手術をこなしながら、根本教授は時間をやりくりして研究にも取り組んだ。
そして2013年のある日、たどり着いた答えが、子どもの成長に合わせて成長するパッチである。
もちろん、そんなものはまだ、世界中のどこにも存在しない。

医学研究者であれば、まずは思いついたアイデアを元に検討を重ね、マウスなどの動物実験で成果を試して論文にまとめる。
学会発表や学術誌への論文掲載によって企業の目にとまれば、製品化される可能性が出てくる。
そこまでたどりつけば研究者としては十分であり、その先は企業任せでよしとするのが一般的だ。けれども根本教授は違った。

「製品化できなければ、多くの人を救えません。だから何としてもアイデアをモノに仕上げなければならない。このパッチを完成できれば、
今後、先天性心疾患を抱えて生まれてくる子どもたちの未来を変えられます。そのためには自分が動くしかないと考えたのです」

この段階では事業性はもとより、製品化できるかどうかさえわかっていない話だ。
誰かが強いリーダーシップを発揮しないと、おそらくは前に進まないプロジェクトである。

そのリーダーとして責任を取る決意を、根本教授は固めた。

始まりは素人集団、けれども
その熱量は世界の誰にも負けない

思いついたら、まず動く。根本教授は、自分のアイデアをモノに仕上げる協力者を見つけるため、自分で片っ端から電話をかけメールを送った。

「企業情報の多い日本経済新聞を読んでは、候補をリストアップし連絡を取りました。ほとんど誰も相手にしてくれなかった中で、福井経編興業だけが高槻まで話を聞きに来てくれたのです。彼らに目をつけた理由は、伸び縮みして面積の広がる布を編む技術を持っていたからです。もちろん彼らも最初は半信半疑でしたが、話しているうちに思いが伝わったのか、とにかくやってみようと応えてくれました」

とはいえ開発は決して簡単には進まなかった。けれども福井経編興業は決して諦めず、根本教授の注文に誠実に対応してくれた。試作品を作っては協議し、改善する。地道な作業の繰り返しにより、アイデアは少しずつ確実な技術として固まっていった。
生体吸収性ポリマー糸と非吸収性ポリマー糸、この2種類の糸で編んだ布を、生体吸収性素材の膜と合わせる。
これにより赤ちゃんの成長とともに膜自体も伸展し、生体吸収性ポリマー糸はやがて子どもの自己組織に置き換わっていく。

技術が固まれば、次に必要となるのが、世の中に広げるための体制づくりだ。
次に必要となるのが、クラス4の高度医療機器の製造と販売に求められる承認を得ることである。
これには国による第一種医療機器製造販売業許可を持つ企業の参加が必須であり、これは大企業に限られる。

福井経編興業株式会社にて
福井経編興業株式会社にて

「このときも片っ端から大手メーカーにあたりました。ところがどこも見向きもしてくれなかった。そんな中、福井経編興業を通じて声をかけた帝人が話を聞こうと応じてくれたのです。」

「しかも最初のミーティングには経営幹部や開発部門のトップが参加してくれました」

薬事規制当局との交渉部門も抱える帝人がチームに加わり、プロジェクトの進行に弾みがついた。
そして福井経編興業では、従業員100名の規模からすれば過大とも思える投資をして、ISO13485の取得や、クリーンルームを設置してくれた。

どうすれば、
一人でも多くの患者さんを救えるのか

国内での体制を整えながら、根本教授は世界にも目を向けていた。先天性心疾患に悩む患者は世界中にいる。
開発に取り組む血管修復パッチは、多くの患者を救うツールとなりうる。
そのためには量産化によって価格を抑える必要があり、量産した製品を使ってもらうためには、世界にその存在を認めてもらわなければならない。
同時にこうした革新的な技術には知財の問題もついてまわるため、特許申請も抜かりなく進めなければならない。

根本教授は海外での学会に積極的に参加した。
実験データの発表後には会場に来ている、その国のキーマンの外科医や医療系のベンチャー企業などに声をかけていった。

「話をしてみて市場性について手応えを感じると同時に、我々の技術についても専門医療に携わる先生たちから認めてもらえました。
ある程度の市場規模を見込めなければ、帝人の意気込みに報いるのが難しくなります。
最終的には専用の製造工場までつくってもらわないと量産できない。そのためにはかなりな投資が必要となりますから」

パッチ周囲の新生自己血管壁
パッチ周囲の新生自己血管壁

教授らのプロジェクトは、2014年と2017年の二度にわたって、経済産業省とAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の、「医工連携事業化推進事業」に採択されて大型補助金を獲得し、開発が加速した。

この間に行われた、研究室総出の大型動物による実験では、パッチから自己細胞の誕生している様子が確認された。とはいえクラス4の高度医療機器については、きめ細かな規制がある。治験のやり方についても、厳格なルールが定められている。

帝人の薬事担当チームとも綿密な打合せを重ねながらプロジェクトは着実に進められていった。

そして2018年。
にこれまで取り組んできたパッチは「心・血管修復パッチOFT-G1」と仮の名前がつけられ、厚生労働省による「先駆け審査指定制度」の対象品目に指定された。

「この制度は、治療法の画期性、対象疾患の重篤性、極めて高い有効性、世界に先駆けて日本で早期開発・申請する意思の4つの要件を満たした場合のみ指定されるものです。指定されるとPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)との優先相談、審査の前倒し、優先審査などの優遇措置を受けられます。小児部門で指定されたのは、私たちのプロジェクトが今でも唯一です」

最後まで、自分たちで責任を完遂する

教授らのチームは、2019年から臨床試験を開始した。
「心・血管修復パッチOFT-G1」は、規制当局と合意した治験計画に則り、まずfirst in humanとして3人の赤ちゃんの心臓に埋め込まれた。

この経過観察を経たのちに、次のステップである有効性・安全性証明への臨床試験の被験者登録が行われた。
ちなみに最初に移植された赤ちゃんは、手術後すでに3年が経過し順調に育っている。

「次の治験では30人強の被験者が登録されました。年齢層は幅広く、生後3カ月ぐらいから社会人までを含みます。
今後の市場拡大を考えれば、成人での症例登録も欠かせません」

2021年に開始された臨床試験は、全ての患者さんの術後1年間の経過観察期間を終了し、現在は臨床データをまとめているところだ。クラス4の医療機器の承認申請で認可されるためには、臨床データのまとめはもとより、臨床以外の材料や成型データ、そして基礎実験データも求められる。さらには生産体制のクォリティマネジメントや安全性の確保データも必要となる。
根本教授らのチームはいま、データの最終の取りまとめにかかっている。


「基礎技術開発、各種評価、薬事申請から製造、承認を得られた後の販売までを担ってくれるのが帝人です。同社は治験と同時進行で既に量産体制はもとより流通体制の確立にも動いています。今後の展開については、おそらく2023年には、まず国内で販売できると考えています。
続いてEU各国や米国、アジアでの展開が視野に入っています」

医学研究者が、アイデアを思いついて研究に取り組み、試作品が出てくる段階まで関わるケースはある。
けれども根本教授のように、最初から最後まで自らがイニシアティブを取って動くケースは、極めて異例だ。
日々臨床もこなしながら、なぜそこまで献身的に動けるのか。その理由を教授は2つ教えてくれた。

「1つは、プロジェクトに関わってくれた人たちの人生、彼らがこのために使ってくれた時間と労力を、絶対にムダにはできないからです。
そしてもう1つは、赤ちゃんの手術にこの手で携わり続けてきた外科医だからこその思いでしょうか。
なんとしてもこの子どもたちの未来を、より良いものにしてあげたいのです。それが医師としての自分の務めですから」

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