『肺循環評価の新しい評価法の開発と診断応用-波動解析法を応用した肺動脈閉塞度の評価』更新しました

肺循環評価の新しい評価法の開発と診断応用 -波動解析法を応用した肺動脈閉塞度の評価

肺動脈性高血圧症は様々な原因で発生するものの共通の病態は“肺小動脈の増殖性閉塞”である。
難治である本症では“適切な肺循環の定量的評価”に基づいたタイミングの良い治療介入と効果判定がポイントある。
しかし臨床で汎用可能な評価法は定常流のオームの法則から算出される“血管抵抗”のみであり、拍動流の解析法には合致せず、また血管以外の諸条件により変動するため病態を正確に反映しないことが問題となったままである。
本研究では肺循環を“波動現象”ととらえ機械工学的解析手法を導入し、“病態本来の血管閉塞度を定量的評価する指標”を新たに開発することを目的とする。
シミュレーションから動物実験で検証し、更に臨床から得られるデータに適用し、実用的な新指標としての確立を目指す。

研究の学術的背景

肺動脈性肺高血圧症(PAH)は、肺動脈末梢血管壁に過剰増殖変化をもたらし器質的閉塞病変に進行する状態と定義される。
中でも左右短絡性先天性心疾患に伴うPAHでは、この閉塞病変が進行すると不可逆的となり、肺循環が成立しないことによるチアノーゼの出現や生存率の低下に至る(Eisenmenger症候群)。
近年様々なPAH治療薬が登場し、予後の改善が改善した (Drugs2008;68:1049-1066)。
その治療の良否は、不可逆的状態に至る前のタイミング良い治療介入とその正確な効果判定による適切な治療選択によることは言うまでもない。
そのためには“肺血管の閉塞病変の定量的評価”が極めて重要となる。
しかしこの閉塞病変の定量的評価法に決定的な指標はなく、実地臨床では心臓カテーテル検査で得られた圧力と血流量の測定値からオームの法則による肺血流を定常流とみなした場合の“肺血管抵抗値”を以下のように算出することで推定しているのが現状である。

“肺血管抵抗値”(Rp;U・m2)=(PPA-PLA)/Qp

PPA:平均肺動脈圧、PLA:左房圧、
Qp:肺血流量(L/min/m2)=酸素消費量(V O2:ml/min/m2)/{(SaPV ? SaPA) x Hb x 1.36 x10} x 100、
SaPV: 肺静脈血酸素飽和度、SaPA: 肺動脈血酸素飽和度、Hb:ヘモグロビン値

残念ながらこの値は検査時の麻酔および気道・肺胞の状態により、上記計算に必要とする各種測定値にばらつきが生じ、肺循環の定量的指標としては正確性に限界がある(Curr Hypertens Rep2013;Oct)。
他に心エコー法を用いた様々な肺循環の評価指標も臨床で用いられているものの定性的評価に留まり、“肺血管抵抗値”を越えるものではない(Echocardiography2007;24:1020-1022)。
本研究では上述の懸案に対し、従来の“総和としての肺血流の間接的評価”ではなく、肺循環を本来的な“波動現象”として見直し、機械工学的手法を応用してPAHの本態である血管閉塞度を“直接的かつ定量的に表す新しい指標”を開発する発想を得た。
下図のように肺動脈は容量血管であり正常の場合は動脈インピーダンスの変化が少なく、心臓からの進行波は徐々に減衰するが、PAHによる閉塞による血管断面積の減少は動脈インピーダンスの変化を起こし、この部位で反射波(後退波)が生じる。
この反射波は進行波の圧力と血流速度に位相の変化という影響をもたらし、かつ血管閉塞の程度が反射波の圧力と血流速度を規定する。
これは大動脈では既に観察されており、臨床で応用されている。
以上から肺動脈内における圧力と血流速度を測定し、その位相情報から閉塞度を推定することが可能との仮説を立てた。
具体的な原理は次頁(付記)に示した波動現象の解析手法の応用である。
算出された“位相角θ”を新たな指標とするものである。

研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか

まず上述の理論が肺循環でも妥当であるかを検証するため、ヒト肺循環を模したシミュレーション回路をシリコンチューブで作成し、回路末梢を様々な程度に閉塞させた状態で圧力-血流速を同時記録するシステムを構築し位相角θを算出する。
続いて上述の測定システムが生体に適用可能かどうかを検証するため、実験動物(ビーグル犬)に臨床に準じた心臓カテーテル検査を実施し検討する。
最終的には実際のヒト臨床心臓カテーテル検査時に測定・データの取得、および位相角θの算出を行う。
位相角θの臨床症状(PAHに伴う諸症状)および諸データとの相関を既存の指標(肺血管抵抗値)と比較検討し、新しい指標としての有用性と優位性を結論する。
以上の段階的に得られた研究成果を関係の学会での発表や科学誌への論文掲載を目指す。
ここまでを本研究のゴールとする。
将来的には新しい指標を用いた診断装置の開発への発展も目標とする。

当該研究分野における本研究の学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義

本研究によりPAHの本態かつ治療対象となる“血管閉塞”の状態の定量的評価を、従来の間接的で時に正確性に欠くどんぶり勘定である“血管抵抗値”という指標から、より直接的な指標である“位相角θ”によって評価を本来に近づけることが独創的である。
この新指標の臨床応用により患者の肺血管病変の状態を正確かつ客観的に把握することが可能となり、より適切な治療介入の開始と治療効果の判断を通して、難治であるPAHの治療法の確立や予後改善への波及効果が期待できる。
また本研究は医療現場からのニーズを工学的シーズでの解決を模索する“医工連携研究”を具現する例であり、多領域での医工連携の発展に寄与できると考えられる。

付記

一般に波動現象は、圧力と血流速度(流速)の2つ変数で表現される。
両者には位相差があり、伝わる管路の末端の境界条件によりその位相差は0度から90度までの値を取ることができる。
反射が一切ない場合の位相差は0度であり、完全反射の場合は90度になる。
一部反射の場合は、反射の度合いにより0度から90度の中間の値をとる。
以上を数式で表現する。
波動現象における圧力pと血流速度uとの間には、波動方程式を解くことで次式が得られる。



予想される位相線図(閉塞の有無)
閉塞部では反射波が生じ、位相線図は階段状になる。
一方正常な場合、末梢血管で波が吸収されるため反射は少なく、
位相線図はスロープ状になると予想される。

ここでu+,u-は血流速度の進行波と後退波の振幅、p+,p- は血圧の進行波と後退波の振幅である。
血流流速の進行波u+ は、心臓の拍出量から決まり、肺動脈の分岐や末梢で反射される波の総和がu-となる。
分岐や末梢の形状寸法を与えるとu- が定まり、血液の密度ρ0と脈波伝搬速度cを血流速度u+,u- に乗じて圧力の振幅p+,p-が定まり、圧力p (χ,t)が定まる。
センサーで測定できる圧力と血流速は、p (χ,t) ,u(χ,t)であり、進行波もしくは後退波を直接測定することはできない。
血液を移送する観点からは、反射波は小さい方が良い。
よって健常者の場合、反射波は小さく u-=0, p-=0となり


と予想される。

他方完全閉塞である剛壁面上では血流速はゼロである。すなわちx=0でu(0,t)=0となる。
よってu+=u-が導かれ、


となる。

肺動脈の最小動脈が閉塞すると必ず反射波が生じる。
その場合、上式の血圧と血流速の比は、実数ではなく位相角を伴う複素数となる。
例えば極端な条件では以下となる。
末端が理想的な摩擦抵抗(無反射条件) 

末端が全閉塞 

全閉塞の場合は単純に位相角はθ=-90°であるが、実際は閉塞の程度に応じて-90°?θ?0°となる。

本ページは独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)『肺循環評価の新しい評価法の開発と診断応用-波動解析法を応用した肺動脈閉塞度の評価』を報告するページです。