INTRODUCTION
かかってきた一本の電話

福井経編興業は1944年創業、ニットメーカーとして長年、経編生地の製造と販売に携わってきた。社名にもある経編とは、糸を縦方向に連続して編み上げていく独特な手法である。経編でつくられた生地は、優れた伸縮性を持つようになる。独自の経編技術を強みとして多様な領域でチャレンジを重ねていた同社は、小口径の人工血管の開発を契機にメディカル領域にも挑戦していた。
「たまたま人工血管の話が『夢の扉+』というテレビのドキュメンタリー番組や、新聞記事でも取り上げられました。それを見た根本教授から会社のお問い合わせメールに連絡があったのです。人工血管をつくっているのなら、その技術力を活かして、ぜひ一緒に取り組んでほしい案件がある。ついては一度、大阪医科大学(当時)まで来てもらえないでしょうかとの依頼でした。それで翌週高槻に行ったのです」と当初の経緯について同社の高木義秀社長は振り返る。
根本教授からの最初の依頼は、人工弁輪に使うパーツの制作だった。人工弁輪とは、先天性心疾患を抱えて生まれてくる赤ちゃんの手術に使用される医療機器だ。その試作を依頼された当時専務だった高木氏は、二つ返事で引き受けた。2012年7月の出来事である。高木氏の返事を聞いたとき、根本教授は思わず「本当ですか」と声を出してしまったという。無理もない話で、それまで十数社のニットメーカーに声をかけては、毎回断られてきたのだ。もちろん、期待したからこそ高木氏に声をかけた。とはいえ直ちに前向きな返事をもらえるとは思ってもいなかった。
翌2013年、試作を繰り返していた中で、根本教授のアイデアにより同じく先天性心疾患を抱えて生まれてくる赤ちゃんの手術に使うパッチの試作、すなわち後にシンフォリウム®となるものの試作依頼が入った。その時点で教授の頭の中には、すでにくっきりとした理想像があった。手術を完璧にこなせるのは当然として、その後の子どもの成長に合わせて伸張してもいけるようなパッチである。理屈は決して難しいものではない。けれども、それを実際につくるとなると次元の異なる問題がいくつも出てくる。
「成長に合わせて単に伸びるだけではもちろんだめで、当然ですが手術後の出血を抑えるコーティングなども必須です。たしかに簡単ではありません。けれども人工弁輪での経験もあったため、話を聞いている時点で素材も含めてある程度完成形のイメージが頭に浮かんだのです。だから要点はわかりましたから、技術者と相談して返事をしますと伝えました」
難しい、けれども決して不可能ではない
早速高木氏は、メディカル関係のメンバーを集めて案件について説明した。求められたのは、タテ・ヨコ2倍にまで伸ばしていける生地である。一方向だけに伸ばすのであれば、それほど可能性のない話でもない。けれども縦横2倍とは、面積にして4倍までの拡張を意味する。そんな生地をどうやってつくるのか。
高木氏は「話を聞いた当初は、水溶性の糸を使えば試作品としてはなんとかなるのではないかと考えていました。ただ、体内に入れるとなると問題がある。ちょうどこのタイミング、2013年の12月からプロジェクトに帝人さんも加わってくれました。試作品をいずれ製品化する段階では帝人クラスのメーカーが必要と考え、協力を求めたところ応じてくれたのです。そこで3者で検討した結果、体内で溶ける速度などを考慮しながら選んだのがPLA、すなわち植物由来のポリ乳酸からつくられる生分解性の合成繊維です。米国のFDA(食品医薬品局)によって、人体への使用を承認されている素材だから安全性は確保されている。コストはかなり高いけれども、PLAなら課題をクリアできるだろうと思ったのです」と振り返る。
ただし高木氏の目算と、話を聞かされたスタッフの受け止め方の間には、大きな開きがあった。最初の社内ミーティングで話を聞かされた編立担当部長の山田英明氏は「正直なところ驚きました」と明かす。人工血管に携わっていたから、医療関係の案件は初めてではない。けれども人工血管で求められた条件と比べて、今回の課題には次元の異なる難しさがある。手術で使われた後、すなわち子どもの体内に入れられてから、その成長と共に伸び広がっていくような生地である。しかも心臓の血管手術に使われるとは、命に直結するものを意味する。山田氏とチームを組む課長代理の櫻井潤氏の第一印象は「かなり現実離れした要求ではないか」だった。
それでも可能性ゼロと受け止めなかったのが、高木氏と山田氏の共通認識だった。
「もちろんできるかどうかは、まだわかりません。だから根本先生にも“できます”などとはとてもいえない。けれども、いったん生地を仕上げた後で、糸に戻せばよいのではないかというイメージだけはありました。生地に使った糸が一部溶けて、溶けない糸もある。吸収性の糸と非吸収性の糸を組み合わせれば、片方が溶けて片方が残る。すると形が変わりながらも残るはずです」と大まかなメカニズムを山田氏は説明する。
それからアイデアを形にするための試行錯誤が重ねられ、1カ月後には最初の試作品ができた。けれども、根本教授の目にその試作品は「まだ使い物にならないもの」と映った。
ある日、突然おりてきたモノづくりの神様
根本教授は月に一度、プロジェクト会議のため福井にやってきた。ミーティングの場ではダメ出しが続いた。見る目が厳しいのは当然である。
「その試作品を医師として自分自身が、何の不安もなく手術室で、実際に子どもに対して使えるのか」——。根本教授の絶対的な判断基準はあくまでこの点にあり、これは絶対にぶれない。
この間に手術を見学して、子どもが頑張る姿を目の当たりにしていた高木氏らも、自分たちが何を手掛けようとしているのかを肌感覚で理解していた。何とかして赤ちゃんを救ってあげたいという思いも、根本教授と共有できていた。
「経編だから経糸だけで生地を編んでいく。その経糸の一部を溶ける糸にすれば、形が変わっていく。ここまでの考え方はよいのですが、どうにもその先に進んでいけない。要するに編んだものが、形を変えていくにはどうすればよいかと考え続けていたのです」と、山田氏は苦労を重ねていた状況を振り返る。
「けれどもあるとき、生地のサンプルを見ていて閃いたのです。要するにそれまではずっと、まず生地を編んで、それをどうすれば広げていけるのかと考えていた。そうではなくて、発想をひっくり返せばどうなるのかと……。要するにまず広がった状態を最終形としてイメージし、そこから逆に縮めたところを考えてみた。最終的に、どの糸が残って、どのように繋がっていれば、広がった状態を保てるのか。残す糸と溶かす糸をどのように組み合わせてていけばよいのかと考えていきました」
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最終形:縦横ともに当初の2倍に広がった様子 -

途中段階:吸収性の糸が分解され、非吸収性の糸だけが残った状態 -

最初:吸収性の糸(紫色)と非吸収性の糸(水色)が編み上がった状態
まさに夜、一人仕事場に残ってあれこれ考えていた山田氏に、アイデアの神様が降りてきた瞬間だった。次の日の朝、山田氏から試作品を見せられた櫻井氏はびっくりしたという。
「それまで見たこともないような生地が、実際に目の前にありました。一体どうやれば、このような生地をつくりだせるのか。見せられた生地は、自分の想像の範囲をまったく超えるものだったのです」
根本教授も驚いた。プロジェクト会議で試作品を見るなり「できたじゃん、すげえな、やったな」と声を出したという。ただし、生地ができたからといっても、そこがゴールではない。この生地をそのまま手術に使えるかといえば、そうはいかない。心臓に縫い付けたあとには、血漏れを防がなければならない。
生地はできた、そこから始まった次のハードル超えへの挑戦
第1段階のハードルをクリアした生地を、医療機器として使えるようにするには、まだいくつものハードルを超えなければならない。血漏れを防ぐためのコーティングを行ったうえで、品質や性能について臨床試験を含むデータを収集し、それらをまとめて国に提出する。これら一連の手続きを踏まえたうえで、国から承認を得なければならない。そのためもあって早い段階から、医療関係に関するノウハウを持つ企業として帝人に協力を求めていた。2014年には、福井経編興業、帝人と大阪医科大学(当時)の3者によるコンソーシアム形式で経済産業省の「医工連携事業化推進事業」に申請し、採択されている。
この補助金を取りに行くため、2013年の12月に根本教授と福井経編興業で社長秘書を務める小川陽子氏が、近畿経済産業局に事前相談に出向いた。その際に小川氏は緊張して体調を崩してしまい、一方で根本教授はなぜか声がかすれて出ないという散々な状態だった。それでも、何とか声を振り絞って説明しようとする教授の姿を見て、小川氏は「子どもを何としても救いたいという教授の気持ちに打たれました。しかも同行していながら役に立たなかった私を気遣ってもくださった。この先生に心底ついていこうと思ったのです」と語る。
資金を得られたおかげで、福井経編興業ではメディカルチームを編成してクリーンルームを設置し、医療機器産業に特化した品質マネジメントシステムに関する国際規格ISO13485の取得に向けた準備なども進めていった。ただし、そこから先にはまだ乗り越えるべきハードルがいくつもあった。実際に福井経編興業、帝人、そして根本教授たちの奮闘は、それから10年以上続いたのだ。