教室紹介(沿革)

沿革

初代教授 板谷博之

初代教授板谷博之

第2代目教授 岡島邦雄

第2代目教授岡島邦雄

第3代目教授 谷川允彦

第3代目教授谷川允彦

第4代目教授 内山和久

第4代目教授内山和久

一般・消化器外科学教室は、外科再編成にともない昭和51年4月、旧第1、2外科から誕生し、初代教授には旧第2外科の板谷博之教授(昭和22年京大卒)が就任しました。担当は脳神経外科および胸部外科を除く広い範囲で、主体は消化器外科であった。新しく診療、教育、研究体系を計画中であったが、板谷教授は52年4月不幸にも肺癌のため現職で逝去した。

このため、以後1年余り教授不在の期間が続いたが、昭和53年8月1日より、岡島邦雄(昭和28年岡山大卒 前岡山大第1外科助教授)が第2代目教授に就任し、教室を充実させていった。

教室員一同、岡島教授の下に結束して診療、教育、研究に努めた。 臨床面では、病床数は約90床になり、取り扱う疾患は、頚部(甲状腺)、乳腺、食道、胃、小腸、大腸、肝・胆・膵、小児外科、末梢血管と広範囲であった。手術症例は癌が多く、年間手術件数は平均約780件にも達するようになった。

このうち胃癌は平成7年12月15日岡島教授就任以来、胃癌切除数が2000例に達した。 早期胃癌に対しては内視鏡的切除や縮小手術(迷走神経温存手術や幽門輪保存手術)を行い、進行癌に対しては根治性を高めるため、大動脈周囲リンパ節郭清や上腹部内臓全摘術など超拡大手術を行い、術後遠隔成績の向上に寄与した。 

研究面では、消化器癌、特に胃癌や大腸癌、乳癌の発育・進展に関する分子生物学的研究、肝臓の虚血再潅流障害に対する肝保護に関する研究、手術侵襲と生体反応に関する研究など、多岐にわたる分野で積極的な研究が行われていた。また、教室で担当した学会・研究会も多く平成9年3月までに、第42回日本消化器外科学会総会(平成5年)をはじめとした7つの地方会、研究会を主催した。  

平成9年3月31日岡島教授が退任し、後任に谷川允彦(昭和45年京大卒 前福井医科大学第2外科助教授)が第3代目教授として平成9年4月16日より就任した。

谷川教授の下、臨床面では腹腔鏡手術を中心にさらに症例数を伸ばし、研究面では任期中に研究生として所属した42名に学位授与が行われた。

テーマは抗癌剤感受性試験をはじめとして、抗アポトーシス遺伝子survivin関連、樹状細胞、MRI用のリンパ節造影剤Ferumoxtran-10(商品名Conbidex) 臨床検査医学教室や薬理学教室との連携によるものもあり、多岐にわたった。

また谷川教授在任中、第19回日本内視鏡外科学会総会(平成18年)、第71回日本臨床外科学会総会(平成21年)とはじめとした5つの研究会を主催した。
国際交流としてIRCAD/EITS(France)との連携により医局員5名がフランス留学をし、WeB Surg Japanを立ち上げた功績から谷川教授はフランス国家功労賞シュバリエを受賞している。

平成23年6月には、内山和久教授(昭和58年大阪医大卒 前和歌山県立医科大学第2外科准教授)が着任、専門の肝胆膵領域における高難度手術の定型化とともに低侵襲化を推進した。2015年には胃癌に対するロボット支援下手術を導入した。また同年、小児外科診療をスタートさせて新生児から超高齢期まですべての年代に対応できる外科診療体制を確立した。

そして、2022年4月からは、李相雄が主宰者として教室の診療・教育・研究の指導に携わっています。私は平成元年に大阪医科大学に入学し、学生時代はラグビー部に所属し生涯続く仲間を得ました。平成7年に卒業後、当時の岡島外科に入局し、外科医として根幹となるべき基本的価値観を叩き込まれました。北摂総合病院での後期研修を終えて2000年に帰学し、当時では先進的治療であった腹腔鏡下大腸癌手術に初めて出会い、その後の外科医人生が決定づけられました。2013年度からは上部消化管グループの責任者として、1600例以上の食道・胃疾患の外科診療に携わり、外科手術の低侵襲化と安全な普及に取り組んできました。

当教室は、現在では、年間1500例超の手術症例数を誇る臨床診療科に発展し、三島二次医療圏の高難度消化器手術に加えてロボット支援手術等の最先端医療を提供するとともに、乳癌治療そして小児外科治療をも担っており、地域外科医療の中心的役割を果たしています。今後は、高い質の外科手術を提供しつつ、横断的協力体制による超高齢社会に即した低侵襲集学的治療の開発を進めます。さらに、手術後のケアを包括した地域健康管理システム構築へ積極的に関与してまいります。