喜田 照代(教授)
Teruyo Kida, M.D. (Professor and Chair)

大阪医科大学は、1927年(昭和2年)に日本で最初の5年制大阪高等医学専門学校として設立されました。本学は阪急高槻市駅に隣接し、さらにJR高槻駅徒歩8分という極めて交通至便の地にあります。2021年(令和3年)4月、大阪医科大学と大阪薬科大学が統合され、大阪医科薬科大学となりました。2027年には大阪医科大学創立100周年を迎えます。大阪医科薬科大学病院は、北摂地域における地域医療の要であるだけでなく、病院機能的にも飛躍的に成長し(2015年(平成27年)日本医療機能評価機構 病院機能評価 3rdGに認定)、現在では31の診療科と14の中央診療部門があります。

本学眼科学教室の歴史は古く、1929年(昭和4年)に牧内正一先生が講師に就任して診療体制を整備されたことに始まり、同年に有沢潤先生が初代教授に就任されました。1935年(昭和10年)には牧内講師が教授に就任、1941年(昭和16年)から1945年まで江原勇吉先生が教授を務められました。その後、1947年(昭和22年)からは牧内先生が復帰され、以後、教室の陣容が充実し、全国でも屈指の大所帯に成長しました。1974年(昭和49年)には緑内障専門の東郁郎先生、1999年(平成11年)から網膜硝子体手術専門の池田恒彦先生が教授に就任、そして2021年(令和3年)4月よりメディカル網膜専門の喜田照代が主宰しております。

一般に、日常生活において情報の80%は目から入るといわれており、眼科は、患者さんにとっても非常に重要な診療科の一つです。そして今、日本では"人生100年時代"を迎え、世界中の人が元気に活躍し続けられる社会をつくるためにも、quality of life(QOL)、しいてはquality of vision(QOV)の向上および生涯にわたる維持は一層大切であり、眼科医の使命です。現在当教室には、ほぼ全ての眼科専門領域(網膜硝子体、神経、斜視弱視、緑内障、角膜、ぶどう膜など)があります。将来の医療を担う本学の学生およびレジデントには、"目"という感覚器の重要性やありがたさを伝え、また、大学院進学を推奨し、優秀な眼科医の育成を目指しています。そのためにも本学の基礎の教室や他診療科の先生方との信頼・連携は重要不可欠と考えており、そして眼科医として患者さんに最高の医療を提供するためにも、臨床医として感じる疑問を研究に活かせるClinician Scientistを輩出していきたいと思います。

2019年12月よりCOVID-19感染拡大の影響もあり、これまでとは違う眼科医としての在り方も模索しながら、世界的視野をもって時代の流れに順応していくことが大切です。教室のモットーは、より良いチームワークと国際化で、自ずと人が集まる、プロアクティブな開かれた教室作りを心掛けています。やはり、大学の使命である臨床・教育・研究の3本柱をバランスよく発展させ、眼科医として日本の医療に貢献することを念頭に置いて努力しています。

日本の眼医療の次世代を担う若い人々のパワーと「人間力」を信じて、教室員が一丸となって邁進していきたいと思います。これからも末永く、大阪医科薬科大学眼科学教室をどうぞよろしくお願い致します。

略歴

1996年3月 大阪医科大学卒業
1996年5月 大阪医科大学眼科学教室入局
2002年3月 大阪医科大学大学院修了、医学博士
2002年4月 淀川キリスト教病院眼科医員
2005年5月 米国カリフォルニア大学サンディエゴ校眼科フェロー
2007年6月 淀川キリスト教病院眼科副医長
2009年4月 市立枚方市民病院眼科副部長
2011年4月 大阪医科大学眼科講師(准)
2014年10月 大阪医科大学眼科講師
2020年4月 大阪医科大学眼科診療准教授
2021年4月 大阪医科薬科大学医学部感覚器機能形態医学講座 眼科学教室教授

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