当教室について

教室の特徴

当教室は、法医学の実務である司法解剖や調査法解剖を行うとともに、研究面では、これまでDNAを用いた個人識別・親子鑑定や集団・臨床遺伝学的な研究を行ってきました。近年、社会情勢の変化に伴い、肉眼解剖では死因の特定できない法医解剖例が増加していることから、多角的な死因特定の手法を確立することが求められています。そこで当教室では、培われてきたDNA解析技術に加えて、質量分析法なども導入し、新たな死因マーカーの確立や、死後経過時間等の鑑定に関わる指標の検索を行っています。また近年、薬毒物が関連した事件も多発していることから、 新たな分析手法の検討も行っています。解剖実務としては、ここ10年で年間約100~150件の法医解剖を行っており、多様な事例を経験しています。剖検例には一般臨床生化学、一酸化炭素、アルコール、薬毒物、組織等の検査を行っています。
令和3年度から文部科学省基礎研究医養成活性化プログラム「地域で活躍するForensic Generalist, Forensic Specialistの養成」(拠点:滋賀医科大学、連携校:京都府立医科大学、本学)に採択されました。同プログラムの大学院博士課程コースには、1法医臨床医養成コース、2法歯科医養成コース、3法医専門医養成コースがあり、法医学(法歯学)分野で特色ある活動を行っている他2校と連携することによって、大学院在学中に幅広くかつ多様な経験を積むことが可能となっています。

教授紹介

佐藤 貴子(さとう たかこ)

■専門分野

法医病理学

■主な学会

日本法医学会法医認定医・評議員
日本神経学会専門医
日本内科学会認定医
司法解剖鑑定医(大阪府警察本部)
大阪市こども相談センター協力専門医
日本法医病理学会
日本法中毒学会
日本医用マススペクトル学会
日本DNA多型学会

教室沿革

昭和2年

(1927)

財団法人大阪高等医学専門学校(修業年限5年)開校。

昭和4年

(1929)

草刈春逸、大村得三が法医学教授嘱託として着任。

昭和23年

(1948)

大阪医科大学医学部開学認可。

昭和27年

(1952)

大阪医科大学(新制)設置認可。

昭和33年

(1958)

法医学講座開講。同年松本秀雄が助教授として着任。

昭和35年

(1960)

大村得三が教授として就任。

昭和44年

(1969)

大村得三が学長代行を兼任。

昭和45年

(1970)

大村得三が教授を定年退職。

昭和46年

(1971)

大村得三が同代行を辞任。

昭和47年

(1972)

大村得三退職。

昭和48年

(1973)

助教授の松本秀雄が教授に就任。

平成 元年

(1989)

松本秀雄学長就任とともに教授退任。

平成2年

(1990)

前神戸大学教授溝井泰彦が教授に就任。

平成7年

(1995)

溝井泰彦が教授を定年退職。

平成7年

(1995)

助教授の鈴木廣一が教授に就任。

令和2年

(2020)

鈴木廣一が教授を定年退職。

令和2年

(2020)

准教授の佐藤貴子が教授に就任。現在に至る。