物質波の概念の成立
de Broglie が物質波の概念を提出したことはよく知られている.しかし,その導出の過程については意外に本当のことが知られていないようである.
現在よく見かける解説は次のようなものである.当時,光電効果をもとにした光量子の発見(Einstein,1905 年)から,それまで波動と考えられていた光が粒子性を有しており,1 つの粒子としての光(光子)が $E=h\nu$ のエネルギーを持つことが示された.一方,Maxwell 電磁気学において光の運動量($p$)と見なされる量について $E=cp$ という関係が見出されていたので,光について \begin{align} \lambda=\frac{c}{\nu}=\frac{h}{p} \label{eq:Wavelength} \end{align} が導かれた.そして de Broglie は,光が波動性に加えて粒子性を有しているのであれば,物質も粒子性に加えて波動性を有しているのではないかと考え,式 $\eqref{eq:Wavelength}$ の関係を物質にも適用したというものである.
ところが,de Broglie が 1929 年 12 月のノーベル賞受賞講演で語っていること(Louis de Broglie, Matter and Light (translated from Matière et lumière. Albin Michel, Paris, 1937), pp. 165–179, Dover, New York, 1949 に収録)はこれとは少し違っている.
当時,彼の心を捉えた二つの大きな事実があった.一つは,$E=h\nu$ の式に見られるように,光の量子論は純粋な粒子説では含まれるはずのない振動数を含んでいるために,まだ満足の行くものとは考えられないということである.そのために,光については,粒子という概念と同時に周期性の概念を導入しなければならない.もう一つは,(Bohr によって明らかにされたように)原子の中の電子の安定した動きを決定するにあたってはどうしても整数というものを避けては通れないこと,そして物理で唯一整数が関わってくるのが振動であるということである.そこで電子についても(光と同じように)単なる粒子とはみなし得ず,周期性が付与されなければならない,という考えに到達したわけである.
このように,de Broglie の文章からは,一般に思われているような “光とのアナロジーで,物質にも粒子性に加えて波動性があるのではないかと考えた” というよりはむしろ,“水素原子のスペクトルの説明における Bohr の量子条件をもたらすものを探った” という方が彼の動機の説明として適切であることが読み取れる.
その後の de Broglie の考察は以下のとおりである.
座標系 $\left(x,t\right)$ において静止している自由粒子の持つ波は定常波であると考えられるので,$\sin2\pi\nu_{0}t$ という波で表されるであろう.この粒子を $v$ の速さで $x$ 軸の正の方向に進む新たな座標系 $\left(x^{\prime},t^{\prime}\right)$ から見ると,Lorentz 変換は \begin{align} t=\frac{t^{\prime}+{\displaystyle \frac{v}{c^{2}}x^{\prime}}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} であるから,波を表す式は \begin{align} \sin2\pi\frac{\nu_{0}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}\left(t^{\prime}+\frac{v}{c^{2}}x^{\prime}\right) \label{eq:Wave} \end{align} となる.すなわち,新たな座標系 \(\small\left(x^{\prime},t^{\prime}\right)\) では $x$ 軸の負の向きに, \begin{align} \nu=\frac{\nu_{0}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} の振動数で, \begin{align} V=\frac{c^{2}}{v} \label{eq:Phase velocity} \end{align} の大きさの “位相速度” で進行する波となる.なお,この当時には Rayleigh によって “群速度”,すなわちほぼ等しい振動数の波の集まりが干渉しあった結果,それらの位相が揃った領域に振幅の大きな合成波(これが “粒子” としての形を表すと考えられる)が残り,それが移動する速度,というものが知られていた.その速度の大きさは振動数を波数で微分したものであり,この場合にそれを求めると, \begin{align} \frac{\mathrm{d}\left({\displaystyle \frac{\nu_{0}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}}\right)}{\mathrm{d}\left({\displaystyle \frac{{\displaystyle \nu_{0}\frac{v}{c^{2}}}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}}\right)}=v \end{align} となり(注 1),粒子が動く速度 $v$ は位相速度ではなく群速度であることがわかった.このことは極めて重要な意義を持っている.それは,式 $\eqref{eq:Wave}$ に示される波について波長や振動数を議論する上では,粒子の見かけの速度である群速度ではなく,位相速度を考えなければならないということである.
そこで,この粒子の運動量は以下のようになると考えられる.すなわち,粒子の相対論的運動量: \begin{align} p=\frac{mv}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} および相対論的エネルギー: \begin{align} E=\frac{mc^{2}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} より, \begin{align} p=\frac{Ev}{c^{2}} \end{align} ここで位相速度(式 $\eqref{eq:Phase velocity}$)を用いると, \begin{align} p&=\frac{E}{V}\nonumber\\ &=\frac{h\nu}{V}\nonumber\\ &=\frac{h}{\lambda} \end{align} となる.これが今日 de Broglie 波として知られているものである.
de Broglie の理論において,光とのアナロジーから物質波に光量子のエネルギーを用いるという発想は確かに一つの鍵であったが,この理論の最大の要点は,de Broglie 自身も言っているように,位相速度と群速度を区別し,物質波としての速度は前者であり,物質の古典的な速度は後者であることを見抜いた点である.
この物質波の発見によって,Bohr の量子条件は明確に説明されるようになった.もともとの Bohr の量子条件は角運動量の満たす条件として表され, \begin{align} mvr=\frac{nh}{2\pi} \end{align} であった.これを変形すると \begin{align} 2\pi r=n\frac{h}{mv} \label{eq:Bohr_rewritten} \end{align} となる.つまり,電子の軌道の円周の長さは電子の波長の整数倍ということになり,電子が波として安定に存在するための条件と読み替えられるようになった.このようにしてそれまで天下り式に与えられた Bohr の量子条件が物質波の概念によって説明されたのである.
もしかすると,de Broglie は式 $\eqref{eq:Bohr_rewritten}$ に気がついていて,そこから物質波を着想し,ただし Bohr の量子条件に立脚することなく相対論と前期量子論を使って物質波の波長の式を導き,その検証として Bohr の量子条件を使ったのかもしれない.そうでなかったとしても,de Broglie の物質波の概念の成立において,最大の動機づけとなったのが Bohr の量子条件であり,理論の構築において最大の要点が群速度と位相速度の区別であったことは言えるであろう.また,式 $\eqref{eq:Wave}$ はまさに “波動関数” であり,粒子の波動関数を最初に考えたのは de Broglie であることは正当に評価されるべきであろう.
波動方程式の導出
de Broglie の提出した物質波の式は $\sin$ 関数であった.再掲してみよう.ここで波動関数を $\psi$ とする. \begin{align} \psi=\sin2\pi\frac{\nu_{0}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}\left(t-\frac{v}{c^{2}}x\right) \end{align} ただし,ここで座標系は $\left(x,t\right)$ とし,$x$ 軸の正方向に $v$ の速さで動く粒子のものであるとする.ここで,振動数の部分: \begin{align} \frac{\nu_{0}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} を位相速度 $c^{2}/v$ と波長 $h/p$ を用いて書き換えると, \begin{align} \psi&=\sin2\pi\frac{c^{2}p}{vh}\left(t-\frac{v}{c^{2}}x\right)\\ &=\sin\frac{2\pi}{h}\left(\frac{mc^{2}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}t-px\right)\\ &=\sin\frac{2\pi}{h}\left(Et-px\right) \label{eq:Wave function E-p} \end{align} となる.
水素原子の電子の軌道にこれを適用してみよう.水素原子の中は Coulomb 場のポテンシャルが存在するために電子は自由粒子となることはできないが,電子が円形の周回軌道を動くとすれば,その線上ではポテンシャルは一定のため,1 次元の運動をする自由粒子として扱うことができる.そして,前述のように適切な運動量 $p$ を選べば,図 1 左に示す通り軌道の円周の長さが物質波の波長の整数倍となって物質波が安定に存在できる.
しかし,実はこのままでは問題が生じるのである.現代の観点からすると,$\left|\psi\right|^{2}$ は電子密度を表す.そうすると図 1 左のような波の形をした電子は場所によって濃淡があるため,回転すると電磁波が発生する.また,2 つの反対方向に回転する波を合成して定常波を作り出したとしても,$\left|\psi\right|^{2}$ の値が周期的に変化するため,電磁波を発生する.そのために長岡–Rutherford の模型と同様,放出された電磁波が何かに吸収されてしまうと,電子はエネルギーを失い,安定な軌道ではなくなってしまう.
そこで,波であり,かつ $\left|\psi\right|^{2}$ が一定であるような関数がないか考えてみると,複素指数関数がそれに該当する.式 $\eqref{eq:Wave function E-p}$ を複素指数関数で書き直すと, \begin{align} \psi=\exp\left[\frac{\mathrm{i}}{\hbar}\left(px-Et\right)\right] \end{align} となる(図 1 右).Planck 定数 $h$ はそれを $2\pi$ で割った形として登場することが多いので,簡単のために $\hbar=h/2\pi$ という記号を用いている.この式に基づくと, \begin{align} -\mathrm{i}\hbar\frac{\partial\psi}{\partial x}&=p\psi\\ -\hbar^{2}\frac{\partial^{2}\psi}{\partial x^{2}}&=p^{2}\psi\\ \mathrm{i}\hbar\frac{\partial\psi}{\partial t}&=E\psi \end{align} が導かれる.非相対論的な場合を想定すると, \begin{align} E=\frac{p^{2}}{2m} \end{align} であるから, \begin{align} -\frac{\hbar^{2}}{2m}\frac{\partial^{2}\psi}{\partial x^{2}}=E\psi \end{align} の方程式が得られることになる.明らかにこれは Schrödinger 方程式: \begin{align} \left(-\frac{\hbar^{2}}{2m}\frac{\partial^{2}}{\partial x^{2}}+V\right)\psi=E\psi \end{align} からポテンシャル項を除いたもの,すなわち自由粒子についての Schrödinger 方程式である.
de Broglie はここまでは考えていなかったようである.自由粒子の場合はそれでよいが,ポテンシャルの場に置かれた粒子の場合はどうしても方程式を解いて波動関数を求めなければならない.そこで,Schrödinger 方程式に至るわけであるが,Schrödinger も彼の方程式を導出するにあたって,論文の上では上記のような議論は行なわず,Hamilton–Jacobi 方程式の作用積分 $S$ を \begin{align} S=K\ln\psi \end{align} と “新しい未知の関数 $\psi$” で置き換え,それに対して変分法を適用する,といったことをしている.ただし,このような発想がどこから生まれたかは明らかではない.これももしかするとの話であるが,Schrödinger は上記のような方程式の誘導法に気づいていたが,その方法ではポテンシャルの取り扱いがうまく行かないので,何とか Hamilton–Jacobi 方程式から想定される結果を導くようにしたのかもしれない.
注
- 複雑な微分に見えるが, \begin{align} f=\frac{{\displaystyle \frac{v}{c^{2}}}}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}} \end{align} と置くと, \begin{align} {\displaystyle \frac{1}{\sqrt{1-{\displaystyle \frac{v^{2}}{c^{2}}}}}}=\sqrt{c^{2}f^{2}+1} \end{align} であるから,式は \begin{align} \frac{\mathrm{d}\sqrt{c^{2}f^{2}+1}}{\mathrm{d}f}=\frac{c^{2}f}{\sqrt{c^{2}f^{2}+1}}=v \end{align} となる.