量子力学の歴史 2 — Planck と Bohr をつなぐもの(改稿)

共鳴子の運動の位相空間における軌跡

調和振動子としての共鳴子のハミルトニアンは \begin{align} H=\frac{p^{2}}{2m}+2\pi^{2}m\nu^{2}q^{2} \label{eq:Hamiltonian} \end{align} である.これを Hamilton の正準方程式に代入して得られる解は位相を 0 として \begin{align} q&=a\sin2\pi\nu t\\ p&=b\cos2\pi\nu t \end{align} ただし, \begin{align} b=2\pi m\nu a \end{align} である.このことは,共鳴子の運動は $\left(p,q\right)$ の位相空間の中で $2a$,$2b$ を長径・短径とする楕円軌道で表されることを意味する. 全エネルギーは式 \eqref{eq:Hamiltonian} より \begin{align} E=\pi ab\nu \end{align} となる.これは全エネルギーが上記の楕円軌道の面積と振動数の積であることを示している.そうすると共鳴子の振動のエネルギー準位が \begin{align} E=nh\nu \end{align} であるから, \begin{align} \pi ab=nh \label{eq:Quantum condition} \end{align} となる.すなわち,調和振動子の位相空間内の軌跡である楕円の面積は $h$ の整数倍とならなければならないことを Planck は発見したのである.

$\left(p,q\right)$ 位相空間内のこの楕円の面積は $p\mathrm{d}q$ の周回積分であるので,式 \eqref{eq:Quantum condition} は \begin{align} \oint p\mathrm{d}q=nh \end{align} とも表される.1915 年 Sommerfeld はこれを一般化し,$q_i$,$p_i$ を一般化座標およびそれに正準共役な運動量: \begin{align} p_i=\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \end{align} とすると, \begin{align} \oint p_i\mathrm{d}q_i=n_ih \label{eq:Sommerfeld} \end{align} が一般化された量子条件となることを見出した.これに従えば,極座標表示したラグランジアン: \begin{align} L=\frac{1}{2}m\left(\dot{r}^2+r^2\dot{\theta}^2\right)-V \end{align} より座標 $\left(r,\theta\right)$ に正準共役な運動量は $\left(m\dot{r},mr^2\dot{\theta}\right)$ となり,Coulomb 場の中の円運動の場合は $\dot{r}=0$ であるので,式 \eqref{eq:Sommerfeld} は \begin{align} \int_{0}^{2\pi}mr^2\dot{\theta}\mathrm{d}\theta=nh \end{align} $v=r\dot{\theta}$ として \begin{align} mvr=n\frac{h}{2\pi} \label{eq:Bohr quantum condition} \end{align} となる.このようにして,今日 Bohr の量子条件として知られる式がすんなりと得られる.しかし,これは後になって Sommerfeld が自身の発見した一般化された量子条件を用いて Bohr の量子条件の意義付けをしたものであり,Bohr が 1913 年にこの式を誘導した際にはもっと粗っぽい理論を展開したのである.

Bohr の 1913 年の理論

Bohr は 1918 年には上記の Sommerfeld の一般化された量子条件を使った角運動量の量子化を述べており,これが今日 Bohr の量子条件として知られるものになっている.de Broglie による物質波の発見(1924 年)はその後のことなので,1913 年の論文(注 1)にこだわらなくてもよいように思えるが,実はこの時に Bohr 自身が問題に感じていたであろうことが後の Heisenberg らによる行列力学の誕生につながって行くので,仔細に見ていく価値と必要がある.以下,記法は現代のものに改め,Bohr の意図を損なわない範囲で式の誘導を変えた.

Bohr はまず,無限遠にある静止した電子が水素原子核すなわち陽子に引きつけられ,陽子の周りのいずれかの周回軌道に入る過程を考えた.周回軌道は一般に楕円軌道となるが,一番簡単な円軌道を考える.そして,円軌道上の周期的な運動を Planck の共鳴子(調和振動子)のアナロジーで考えた.すなわち,共鳴子が離散的なエネルギー準位を持つように,円運動のエネルギー準位も離散的になると考えたのである.ただし,共鳴子の場合はエネルギー準位が変わっても振動数 $\nu$ が同じであるが,円運動の周期の逆数としての振動数は,後にわかるように,同じではない.ここが共鳴子と異なるところである.しかし Bohr は Planck の共鳴子の考えかたを強引に適用し,無限遠にある電子がある円軌道に入るまでに獲得するエネルギーが \begin{align} nhf \label{eq:nhf} \end{align} と表されると考えた.ここで $n$ は離散的エネルギー準位に由来する量子数であり,$f$ は何らかの振動数である.

問題はここで登場する振動数 $f$ である.このときに入った円軌道は量子数 $n$ で特徴づけられるので,その軌道上での円運動の振動数を $\nu_n$ としよう.最初に無限遠方で静止している電子の振動数は当然のことながら $0$ であり,これが陽子に捕捉されて最終的に $\nu_n$ の振動数になる.Bohr は $f$ はこの過程における電子の平均的な振動数を表すと考え, \begin{align} f=\frac{\nu_n}{2} \label{eq:Frequency} \ \end{align} という大胆な仮定を設けた.そうすると,電子の質量を $m$,円軌道上の電子の速さを $v$ とすると,式 \eqref{eq:nhf},式 \eqref{eq:Frequency} とエネルギー保存則から \begin{align} \frac{1}{2}mv^2=nh\frac{\nu_n}{2} \label{eq:Energy conservation} \end{align} が得られる.円軌道の半径を $r$ とすると, \begin{align} \nu_n=\frac{v}{2\pi r} \end{align} であるので,これを式 \eqref{eq:Energy conservation} に代入すると,式 \eqref{eq:Bohr quantum condition} と同じ \begin{align} mvr=n\frac{h}{2\pi} \label{eq:Bohr quantum condition 2} \end{align} が得られる.Bohr の量子条件は最初はこのようにして導かれたのである(注 2).

当然のことながら,式 \eqref{eq:nhf} も式 \eqref{eq:Frequency} も釈然としない仮定である.それでも Bohr はこうして得られた量子条件(式 \eqref{eq:Bohr quantum condition 2})をもとに理論を展開して行った.真空の誘電率を $\epsilon_0$ とすると,力の釣り合いから, \begin{align} m\frac{v^{2}}{r}=\frac{e^{2}}{4\pi\epsilon_{0}r^{2}} \end{align} となる.これと量子条件(式 \eqref{eq:Bohr quantum condition 2})から,量子数 $n$ の軌道のエネルギー準位 $E_n$ と電子の円運動の周波数(振動数)$\nu_n$ はそれぞれ \begin{align} E_n=-\frac{me^{4}}{8\epsilon_{0}^2h^2}\frac{1}{n^2} \label{eq:Energy level} \end{align} \begin{align} \nu_n=\frac{me^{4}}{4\epsilon_{0}^2h^3}\frac{1}{n^3} \label{eq:Frequency n} \end{align} と表される.そして Bohr はさらに振動数条件,すなわち量子数 $n$ の軌道から $n-\alpha$ の軌道への電子の遷移によって, \begin{align} \nu=\frac{E_n-E_{n-\alpha}}{h} \end{align} の振動数の電磁波が放出されるという条件を課すことで,式 \eqref{eq:Energy level} とこの振動数条件から電子遷移の際に放出される電磁波の振動数の式: \begin{align} \nu=\frac{me^{4}}{8\epsilon_{0}^2h^3}\left(\frac{1}{(n-\alpha)^2}-\frac{1}{n^2}\right) \end{align} を導いた.

この式は Rydberg の水素原子の輝線スペクトルを矛盾なく説明することができ,式としての妥当性が確かめられた.しかし,明らかに理論としては弱点を含んでいた.

Bohr の 1913 年の理論への批判

Bohr の 1913 年の理論の弱点は,一つは上に述べたように式 \eqref{eq:nhf} と式 \eqref{eq:Frequency} の根拠が薄弱であることである.実際に,Bohr 自身の導いた式 \eqref{eq:Energy level} と式 \eqref{eq:Frequency n}からは,エネルギー準位の低い軌道は低い振動数で電子が周回することになる.しかし,式 \eqref{eq:nhf} と式 \eqref{eq:Frequency} からは,無限遠にある電子が捕捉される軌道のエネルギー準位が低いほど,大きなエネルギーを獲得し,振動数が大きくなるはずである.これは式 \eqref{eq:nhf} \eqref{eq:Frequency} から導いた結論が式 \eqref{eq:nhf} \eqref{eq:Frequency} と矛盾していることになり,明らかに論理が破綻している.

もう一つ大きな矛盾がある.式 \eqref{eq:Energy level} の右辺を $n$ が(負でない)整数であることを無視して $n$ で微分して $h$ で割ると式 \eqref{eq:Frequency n} の右辺になる.このことは,$n$ が大きく,$n\gg\alpha$ のとき,すなわちいずれも大きくしかも近接した円軌道の間の電子遷移については \begin{align} E_n-E_{n-\alpha}\simeq \alpha h\nu_n \end{align} が成り立つことを示している.そうすると,$\alpha=1$ のときは $\nu_n$ の振動数で円運動する電子から振動数 $\nu_n$ の電磁波が出されることによって $h\nu_n$ のエネルギーを失い,$n$ から $n-1$ への遷移が起こる,ということで話が合うのであるが,$\alpha\geq 2$ のときは出される電磁波の振動数は電子の周期的円運動の振動数の $\alpha$ 倍となってしまい,話が合わなくなってしまう.これについて Bohr は,実際の電子の運動は楕円軌道であるから,電子の加速度を Fourier 級数展開すれば基本振動数の整数倍の成分が見られるので問題はないようなことを書いている.しかし,これはあまり主ではない振動数の成分で遷移を説明するという,かなりの無理が感じられる.ともあれ,このように大きな軌道の場合は曲がりなりにも説明できると言えば言えるのであるが,小さな軌道になると仮想的な微分は適用できず,上記の説明は成り立たない.実際に,たとえば $n=3$,$\alpha=1$ のとき,出される電磁波の振動数は電子の周期的円運動の振動数の $\tfrac{15}{8}$ 倍になり,値が違うどころか,倍数にもなっていないので,Bohr の Fourier 級数によるごまかしも効かなくなってしまう.

このような矛盾はつまるところ,電子の周期円運動が電子遷移によって出される電磁波のもとであるというモデルに起因している.それに気づいて発想を転換したのが Heisenberg である.

    1. Bohr, N. (1913) On the Constitution of atoms and molecules. Philos. Mag. 26, 1 – 24
    2. Bohr は 1913 年の論文の最後の方で,量子条件は角運動量を量子化と考えることができると述べて,Planck の仕事との関連に言及している.Bohr はそのことに気づいていたのである.そしてこの論文は確かに Sommerfeld の仕事に影響を与えたようである.

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