量子力学の歴史 1 — Planck による黒体輻射の解釈

黒体輻射と Planck の内挿式

1859 年,Kirchhoff は熱した黒体から輻射される電磁波の波長分布が物質に無関係に温度に依存することを発見した.これが契機となって,完全黒体を実現する空洞放射について輻射される電磁波のスペクトルが詳しく調べられるようになった(図 1).


図 1:完全黒体から輻射される電磁波の波長によるエネルギー分布 Wikipedia(http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wiens_law.svg)より改変.

このスペクトルの起源について,Wien は半経験的な式 \begin{align} u\left(\nu,T\right)=a\nu^{3}\exp\left(-\frac{b\nu}{T}\right) \label{eq:Wien's equation} \end{align} を提出していた.この式は短波長の領域の結果をよく説明できたが,長波長の領域については当時の測定技術の問題のために検証ができていなかった.

Planck は Wien の式の熱力学的基礎を追求していた.彼は空洞放射において振動数 $\nu$ の電磁波は空洞の壁で同じ振動数 $\nu$ で振動する共鳴子(電気双極子)によって発生すると考えた.そして 1899 年までに,電磁波と共鳴子が平衡に達したとき,電磁波の体積および振動数あたりのエネルギー密度 $u\left(\nu,T\right)$ と共鳴子の平均エネルギー $\langle\epsilon\rangle$ の間に \begin{align} u\left(\nu,T\right)=\frac{8\pi\nu^{2}}{c^{3}}\langle\epsilon\rangle \label{eq:Energy density 1} \end{align} の関係があることを明らかにしていた(注 1).

1900 年の晩夏,彼は Rubens から最新の測定結果が Wien の式と長波長においてずれていることを聞き,その日のうちにすべての波長において測定結果とずれの生じない式を探し続け,数時間の後にそれが \begin{align} u\left(\nu,T\right)=\frac{a\nu^{3}}{\displaystyle \exp\left(\frac{b\nu}{T}\right)-1} \label{eq:Planck's interpolation equation} \end{align} であることを見出した.ここで $a$,$b$ は Wien の式同様測定結果に合うように定める定数である.振動数が大きな(したがって短波長の)領域では Wien の式(式 \eqref{eq:Wien's equation})に一致することがわかる.

Planck はその年の 10 月中旬のドイツ物理学会で Rubens らの結果の報告のあと,意見として式 \eqref{eq:Planck's interpolation equation} を黒板に書き,参加者の好評を得たのであるが,同時にその式(Planck の内挿式)の理論的根拠を明らかにするという使命を負うことになった.

Planck の内挿式の理論付け

Planck は空洞放射の平衡状態におけるエントロピーを考察した.そのためには,$N$ 個の共鳴子があるとして,全エネルギー $N\langle\epsilon\rangle$ を $N$ 個の共鳴子に配分する場合の数 $W$ を求めることになる.ところが,エネルギーが任意の大きさで分けられるものであれば,$W$ は無限大となって決められない.そこで,Planck は全エネルギーを有限個数 $P$ に分割して $\alpha=N\langle\epsilon\rangle /P$ として分配することを考えた.そうすると, \begin{align} W=\frac{\left(P+N-1\right)!}{P!\left(N-1\right)!} \end{align} であるので,$P$,$N$ が大きい数であることを考慮して, \begin{align} S&=k_{\mathrm{B}}\ln{W}\\ &\simeq k_{\mathrm{B}}\left[\left(P+N\right)\ln\left(P+N\right)-P\ln{P}-N\ln{N}\right] \end{align} ここで $P=N\langle\epsilon\rangle/\alpha$ を使って, \begin{align} S=Nk_{\mathrm{B}}\left[\left(1+\frac{\left\langle \epsilon\right\rangle}{\alpha}\right)\ln\left(1+\frac{\left\langle\epsilon\right\rangle}{\alpha}\right)-\frac{\left\langle \epsilon\right\rangle }{\alpha}\ln\frac{\left\langle \epsilon\right\rangle }{\alpha}\right] \label{eq:Entropy} \end{align} 系が平衡状態に達しているとすると, \begin{align} T\mathrm{d}S=\mathrm{d}U+p\mathrm{d}V \end{align} が成り立ち, \begin{align} \left(\frac{\partial S}{\partial U}\right)_{V}=\frac{1}{T} \end{align} となるので,$\mathrm{d}U=N\mathrm{d}\langle\epsilon\rangle$ であることを用いて \begin{align} \left(\frac{\partial S}{\partial\langle\epsilon\rangle}\right)_{V}=\frac{N}{T} \end{align} ここに式 \eqref{eq:Entropy} を代入して整理すると, \begin{align} \frac{k_{\mathrm{B}}}{\alpha}\ln\frac{\left\langle \epsilon\right\rangle +\alpha}{\left\langle \epsilon\right\rangle }=\frac{1}{T}\\ \therefore\left\langle \epsilon\right\rangle =\frac{\alpha}{\exp\left({\displaystyle \frac{\alpha}{k_{\mathrm{B}}T}}\right)-1} \end{align} が得られる.これと以前に彼自身が導いた式 \eqref{eq:Energy density 1} から \begin{align} u\left(\nu,T\right)=\frac{8\pi\nu^{2}}{c^{3}}\frac{\alpha}{\exp\left({\displaystyle \frac{\alpha}{k_{\mathrm{B}}T}}\right)-1} \end{align} が導かれ, \begin{align} \alpha&=bk_{\mathrm{B}}\nu\\ a&=\frac{8\pi b}{c^{3}}k_{\mathrm{B}} \end{align} とすると式 \eqref{eq:Planck's interpolation equation} に一致することがわかった.$bk_{\mathrm{B}}$ を $h$ として書き換えると, \begin{align} u\left(\nu,T\right)=\frac{8\pi\nu^{2}}{c^{3}}\frac{h\nu}{\exp\left({\displaystyle \frac{h\nu}{k_{\mathrm{B}}T}}\right)-1} \label{eq:Planck's equation} \end{align} となる.測定結果に合致するためには $h$ は定数とならなければならない.このことは,エネルギー $\alpha=h\nu$ は $S$ の計算のために導入された便宜的なものではなく,共鳴子の振動のエネルギーはこれを間隔とする飛び飛びの値を取るという,重要な何らかの物理的意味を持つものであることを示している.その本体については説明がつかなかったが,こうして Planck は 2 ヶ月の間に式 \eqref{eq:Planck's interpolation equation} を理論的に導くことに成功し,その年の 12 月 14 日のドイツ物理学会でこの放射公式を発表したのである.

Planck の放射公式の理解と評価

Planck は上述のように統計力学的に洗練された方法で放射公式を導いたのであるが,別の観点から簡単に導くことができる.エネルギー $\alpha=h\nu$ を重複を許して共鳴子に分配するというということは,共鳴子の取りうるエネルギーは \begin{align} 0,\;h\nu,\;2h\nu,\;3h\nu,\;\cdots \label{eq:Discrete energy states} \end{align} となっていることと等価である.平衡状態でエネルギー分布が Boltzmann 分布に従うとすると,エネルギーの平均値は \begin{align} \langle\epsilon\rangle &=\frac{{\displaystyle \sum_{i=0}^{\infty}ih\nu\exp\left(-\beta ih\nu\right)}}{{\displaystyle \sum_{i=0}^{\infty}\exp\left(-\beta ih\nu\right)}}\nonumber\\ &=\frac{\mathrm{d}}{\mathrm{d}\beta}\ln\left[\sum_{i=0}^{\infty}\exp\left(-\beta ih\nu\right)\nonumber\right]\\ &=\frac{h\nu}{\exp\left(\beta h\nu\right)-1} \label{eq:Energy average 2} \end{align} となる($\beta=\left(k_{\mathrm{B}}T\right)^{-1}$).この導きかたからすれば,$0 \lt \delta \lt 1$ として, \begin{align} \delta h\nu,\;\left(1+\delta\right)h\nu,\;\left(2+\delta\right)h\nu,\;\left(3+\delta\right)h\nu,\;\cdots \label{eq:Discrete energy states 2} \end{align} であっても式 \eqref{eq:Energy average 2} が得られる.

その後,量子力学が確立すると,調和振動子のエネルギー準位が \begin{align} \frac{1}{2}h\nu,\;\frac{1}{2}h\nu+h\nu,\;\frac{1}{2}h\nu+2h\nu,\;\frac{1}{2}h\nu+3h\nu,\;\cdots \label{eq:Discrete energy states 3} \end{align} となることがわかり,確かに式 \eqref{eq:Discrete energy states 2} が成立することが示された.古典力学的には調和振動子はエネルギーによらず一定の振動数を持つ. このことが Planck が電磁波はそれと同じ振動数を持つ共鳴子によって生まれ,またその共鳴子にエネルギーを与える(=同じ振動数を持つ共鳴子と電磁波がエネルギーを交換する)と考えた根拠である.たとえば $n$ を 2 以上の自然数として $nh\nu$ のエネルギー差の準位間の遷移が可能であり,そのときに放出された電磁波は $nh\nu$ のエネルギーを持ちつつも振動数は $\nu$ のままである.一方現代の量子力学によると,調和振動子のエネルギー準位間の遷移は隣接したエネルギー準位間でしか許されず,古典的に固有振動数 $\nu$ を持つ調和振動子はエネルギー準位間の遷移によって $\nu$ の振動数を持つ電磁波を放出し,吸収することが示されている.つまり,古典論で考えても量子力学で考えても,$h\nu$ のエネルギー差を持つ離散的な振動状態とは $\nu$ の振動数の電磁波がエネルギーのやりとりをすることになる.Planck はあくまで古典的な描像で考えたのであるが,その離散的な振動状態のモデル自体は,零点エネルギー(式 \eqref{eq:Discrete energy states 3} の $\left(1/2\right)h\nu$)を考慮しなかったこと(それでも正しい放射公式が得られる)を除けば,現代の量子力学から見ても正しく,また量子化された振動状態を条件とする限り古典的に考えても正しい結果を生み出したのである.

ただし,なぜ離散的になるかは古典論からは出てこない.それでも Planck はあくまで古典論に立脚した考えをかなり後まで持っていたようである.そこで Einstein の光量子説には反対していた.彼は量子化されているのは共鳴子の振動であり,その振動間の遷移のために電磁波のエネルギーも量子化されて見えるのであり,1 つの振動子から出される電磁波の振動数が一定なのは電磁波のエネルギーの量子化によるものではなく,共鳴子の固有振動数によるものである,と考えたのである.

Planck の業績についてのよくある誤解は,彼が $E=h\nu$ の式の発見者であるということである.この式は Einstein と de Broglie によってそれぞれ電磁波と物質に対して見出されたものである.Planck は共鳴子の振動エネルギーがこのような飛び飛びの値を取っていることを見出しただけであり,エネルギー量子という概念を提出したわけではなかった.換言すれば,Planck の $h\nu$ と Einstein–de Broglie の $h\nu$ は違うものであると,少なくとも Planck は思っていたのである.

やがて Planck は 1906 年に,共鳴子の振動が $\left(p,q\right)$ 位相空間内の楕円軌道で表され,その楕円の面積が振動エネルギーを振動数で割ったものに等しいことに気がついた.そうすると,この楕円の面積は $n$ を 0 以上の整数として $nh$(現代的には零点エネルギーを考慮して $\left(n+\delta\right)h$)となることになる.また,この楕円の面積は $p\mathrm{d}q$ を周回積分したものでもあるので, \begin{align} \oint p\mathrm{d}q=nh \end{align} とも表される.これは解析力学でいう作用と間接的に関連するものの区別されるべきものであるが,Planck は “作用の量子化” と呼び,“エネルギーの量子化” よりもこちらのほうを好むようになった.これは 1911 年の第 1 回 Solvay 会議において Sommerfeld によって話題にされた.そのため,Bohr はこの “作用の量子化” を水素原子に適用したと思われているが,史実はそれと異なるようである.これについては次回に解説する.

    1. Wien の式や Planck のこの式の導出の過程については複雑なので稿を改めて書く.

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