OMPUDr. Shinozakiのラボメンバーと長女が通っていたプリスクールの友達たちとの公園での誕生日会American Delirium Societyでのポスター発表研究棟でのハロウィンパーティーにて元々留学志望はありましたが、海外で研究しながら生活をするなど漠然とした夢でしかありませんでした。しかしながら入局後に研究に携わり金沢徹文教授の指導の下で学位論文を出すところまで至った際に、今後も腰を据えてしっかりと研究を継続したいと思いました。また、若いうちにしか出来ないことに挑戦したいという思いに突き動かされて明確に留学を希望するようになりました。入局時に、研究に携わることで医学の知見を広げ、その知識や結果を臨床で患者さんに還元しなければならないと先輩に言われたことも関係しているのかもしれません。私はSilicon ValleyにあるStanford UniversityのDepartment of Psychiatry and Behavioral SciencesのDr. Shinozakiの研究所で、2021年9月から2023年8月末まで2年間所属していました。この研究室はせん妄の臨床研究、基礎研究がメインテーマでした。その中で私は小型脳波器でせん妄の検出や予後予測をする臨床研究や、術後せん妄患者の脳や抹消血などの組織を用いて、術前術後でのDNAメチル化における変化の臨床研究に取り組むことになりました。しかしながら、研究室は2021年6月にアイオワ大学から移転してきたばかりで、コロナ禍の影響もあって物流も動いておらず、段ボールも山積みで冷凍庫もまだ1台もないような状況でした。ですので、最初はまず研究室に足りない物品の注文や、自分の研究テーマやそうでないものについてのプロトコル作りなどから研究生活が始まりました。なかなか思うようにいかない時もありましたが、PIの指導によりなんとかいくつか結果を残せたので、最低限の仕事はできたかなとほっとしています。研究生活で印象的だったのは、同じ研究棟に入っている違う研究室とのかかわりでした。ハロウィンパーティなどの催し物はもちろん皆で楽しんだりするのですが、RO1という億単位のグラントを持っていてもsingle cell RNA-seqの研究のための高価な器材を皆で共有したり、最新の電子顕微鏡を共同購入するなど研究室や研究者同士で助け合いの精神が根付いていました。個人主義といわれているアメリカ人ですが、このような一面もあり、まだまだ我々も見習わないといけないなと思いました。私はスタンフォード大学近くのPalo Alto市に家族と住んでいました。この辺りはGoogleやApple, Meta(Facebook)の本社が車で数分から20分ほどに位置するため、家賃が高騰していたのですが、その分治安は非常によく、深夜に自転車で帰宅する時ですら危険を感じることはありませんでした。また気候的にも非常に住みよい街で、基本的には1年中晴天が続き、雨で予定が変更になったこともありませんでした。ですので、スポーツも盛んに行われおり、車で一時間以内の範囲にフットボールならリーバイス・スタジアム、野球ならOakland Athleticsの球場があり、日本人のポスドク同士でLos Angeles Angelsの試合をよく観に行きました。あと、留学中の大きな出来事としては第二子の誕生でした。受ける側ですがアメリカの医療にも触れるという初めての経験をしました。医師をはじめ全てのスタッフは、私の妻と新生児に対して溢れる愛情をもって接してくれました。常々滞在時から感じていたのですが、子供を大事にするという当たり前のことではありますが、我々の文化に少し欠如しているところであり、敬い学ばないといけないところだなと痛切に感じました。出産予定日、看護師が妻に「今日はあなたが女王の日だから、あなたの好きに振舞っていいんだから何でも言ってね」と笑顔で言っていたのが非常に印象的でした。2年間は長いようであっという間に過ぎて行ってしまったのですが、私にとっては海外定住と研究だけにどっぷり浸かるという人生初の大イベントでした。振り返ると日本では出会えないような高名な研究者と出会ったり、友人と研究について語ったり一緒に飲んだりしたことは非常に刺激的でしたし今後の私の人生において重要な気付きを与えてくれたように思います。留学中は様々な人の助けや親切心に助けられて生きていることを改めて感じました。この留学に携わってくれたすべての方、2年間一緒に暮らし研究生活を支えてくれた妻、長女にもこの場を借りて感謝を述べたいと思います。本当にありがとうございました。27留学のきっかけ研究について生活について最後に西澤 由貴 助教
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