奨学生による墓参左)中央)右)四方広場ドイツ連邦共和国Heuss大統領と会見植木理事長ほか多くの皆様のご理解とご支援を賜り、若手医師長期海外留学支援奨学基金を設立しておよそ9年となりました。この間、現在留学中を含めて12名の方々に研究の機会を提供できたことは大きな喜びです。この基金の狙いは単に医師としての知識や技術の習得だけでなく、異文化を体験していただくことにもあります。同じ物を見ていても文化的背景が違えば結論が違うことがあります。例えば人間の命に対する考え方が違えば「生」と「死」の境界線まで異なることは医師である皆さんはよくご存知だと思います。日本では当然とされていることを疑ってみる良い機会にもなるでしょう。今後もささやかながら本基金が貴学の発展にお役に立てれば幸いです。父、忠彌の遺志を継いでいただき、すでに10名の方々が田中基金での留学の機会を得られて、世界で研鑽を積んでおられます。常々、「母校のために」、という思いを強く持っておりました父の望みを皆さまのおかげで果たすことができ感謝しております。ご推薦くださいました先生方から、学問研究の向上は勿論のことながら、医学人として、人間的な成長もされたと伺い、留学の大きな意義を感じております。法人理事 田中 和子田中陽子様故田中清子様田中和子理事established 2014established 2007established 2014桐谷 重毅 様established 200543OMPU四方朋子記念奨学基金本基金は、故四方朋子先生が「本学で医学を学ぶ後輩たちの学生教育に役立てて欲しい」という遺言状を遺され、そのご遺志に添い寄せられた寄付金により設置されました。その果実により、医学部生を対象に、学業、人物ともに優秀であって経済的理由により修学が困難な毎年5名の学生には修学給付金を給付し、また前年度の学業成績及び人物評価が優れている学生にも学習奨励賞を授与する2種類の奨学事業を行っています。尚、四方先生の本学に対するご高邁なお気持ちに感謝の意を表するため、本部キャンパス内にある憩いの広場を通称「四方広場」と命名し、基金の一部を用いて石碑を建立しました。田中忠彌国際交流基金本基金は、元理事長の故田中忠彌先生がご生前に本学の教育のために役立てて欲しいとご寄付のご意向を示しておられ、そのご遺志を汲まれたご遺族の故田中清子様、田中和子様、田中陽子様から贈られた寄付金により設置されました。医学及び看護学の研究水準の向上と強化を図ることを目的に、若手教職員及び大学院生の海外留学に対し助成金を給付する事業を行っています。桐谷重毅若手医師長期海外留学支援奨学基金本基金は、元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社代表取締役社長である桐谷重毅氏の、ご自身が生まれ育ち、ご両親もお住まいである高槻のお役に立ちたいという想いが本法人とのご縁につながり、その寄付金により設置されました。本学の若手医師等の海外留学を促進し、グローバルな視野を持つ研究者や医師を育成するとともに先進医学研究の発展に資するため、支援奨学金の給付を行っています。鈎奨学基金故鈎スミ子先生(本学名誉教授)から遺贈を受け、ご遺志に添い鈎スミ子先生のお名前を冠した奨学基金「鈎奨学基金」を設置しました。医学部および大学院医学研究科で医学を学ぶ修学困難な状況にある女子学生および医学部・大学院医学研究科の女性研究者を対象として奨学金を給付しています。四方 朋子先生 SHIKATA Tomoko1965年、大阪医科大学(現大阪医科薬科大学)卒業、学14期生。卒業後、同大学病院にてインターン修了。その後、大阪市立大学(現大阪公立大学)小児科入局。同大学助手を経て、1975年、大阪市立住吉病院小児科医長に就任。1980年、四方医院を継承。2013年2月ご逝去田中 忠彌先生 TANAKA Tadahiro1936年、大阪高等医学専門学校(現大阪医科薬科大学)卒業後、大阪帝大副手補、軍医大尉を務められたのち、大阪府高槻保健所長、大阪府衛生部参事を歴任。1973年、学校法人高槻高等学校理事長を経て、1995年、学校法人大阪医科大学(現学校法人大阪医科薬科大学)理事長に就任。高槻市文化財保護審議会委員長、財団法人高槻市保健福祉振興協会理事なども歴任。2004年旭日小綬章。 2006年3月ご逝去桐谷 重毅先生 KIRITANI Shigeki1985年、大和証券入社、ロンドン、ニューヨーク勤務等を経て、1998年、ゴールドマン・サックス証券会社に入社。債券・為替・コモディティ部門戦略投資部の責任者として企業や不動産の投資業務に従事。2011年2月ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社 代表取締役社長に就任。2022年2月、代表取締役会長、2022年7月、アドバイザリー・ディレクターに就任。2023年6月退社。1985年 京都大学法学部卒業、1992年カリフォルニア大学バークレー校より経営学修士号(MBA)を取得。鈎 スミ子先生 MAGARI Sumiko1945年、大阪女子高等医学専門学校(現関西医科大学)卒業後、同大学皮膚泌尿器科学教室助手、解剖学教室講師を経て同大学助教授就任。1958年、大阪医科大学(現大阪医科薬科大学)助教授に就任された後、西独エルランゲン大学医学部、ワシントン州立大学などで研鑽を積まれ、1973年、大阪医科大学(現大阪医科薬科大学)教授に就任。国際リンパ学会理事、リンパ学会理事・評議員、解剖学会評議員なども歴任。2002年10月ご逝去。ご厚志に込められた想い基金 FUND
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