大阪医科薬科大学学報 5号
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一人旅 サンタモニカにてLabの同僚と留学中の他学の泌尿器科医師との交流元々私は留学に対して強いビジョンを持っていたわけではありません。しかし進路を決定する際に、泌尿器科学教室の説明を聞いて、初めて海外留学という可能性に触れ、自分の経験と研鑽を積むチャンスに胸が躍りました。留学に惹かれ入局した後は、泌尿器科医としての臨床経験を積み上げながら過ごしておりましたが、2019年に東治人教授より留学の打診をいただきました。遂に訪れた念願の留学、アメリカへの期待を胸に2020年4月から留学生活を開始しました。留学先は、当初はニューヨークのマンハッタンにあるMemorial Sloan Kettering Cancer Center(MSKCC)でしたが、のちにボストンのBrigham and Women’s Hospital/ Harvard Medical School(BWH)へと移動し、計3年1か月の渡米となりました。コロナと留学前任の先生との引き継ぎも必要であったため3月に少し早めに渡米。一人でメトロに乗ってマンハッタンを散策したり、セントラル・パークでランニングしたり、大いにニューヨークの空気を楽しみました。浮かれていた矢先のことです。WHOが新型コロナウイルス感染症に関するパンデミック宣言を発令し、アメリカ国内での感染者激増がニュースになり、次々にスーパー以外の店も閉店し始めました。そのうちに所属の研究室の閉鎖が決定し暫く自室に籠もって生活していましたが、渡米1か月半で週に1便の羽田直行便に乗ってアメリカを後にしました。羽田空港に到着してからは、段ボールベッドで一時待機した後、帰国者用のホテルでPCR検査の陰性が確認できるまで一夜を過ごしました。日本で研究室の再会を待っておりましたが、そのままPIが転居のために引退することとなり次の留学先を探していたところ、有難いことにBWHへの留学が決まりました。6月にはVISAの変更を申請しましたが、BWHの人事課が在宅ワークのため手続きが中々進まずいつ再開できるのか気を揉む日々でしたが、遂に2021年2月留学を再開できることになりました。私が再渡米した頃には日本よりも早く屋外でのマスクの着用が個人の自由となっていた状況で、殆どの店が通常通り営業していました。研究生活私が所属していたLi Jia LabはBWHのDepartment of Surgery/ Division of Urologyに属しており、主に前立腺がん領域の研究をしております。私は前任の先生が始めたCRISPR/ Cas9 screeningというプロジェクトに携わっておりました。CRISPR/ Cas9は2020年にノーベル化学賞を受賞した遺伝子編集技術ですが、その技術を応用してヒトの全遺伝子を網羅的にノックアウトすることにより、薬剤感受性や薬剤抵抗性に関与する遺伝子を同定することができるスクリーニング法です。そのスクリーニングから同定された薬剤感受性に関与する遺伝子についてメカニズムを解明し、現在Submitに向けて追加実験を行っております。2021年は年中の長女と生後2か月の長男を残して単身で渡米し、久しぶりの独身生活を謳歌しました。以前観た「世界の車窓から」でロッキー山脈を蛇行しながら越えて行く「大陸横断鉄道カリフォルニア・ゼファー号の旅」に感銘を受け、2021年に念願叶ってカリフォルニア・ゼファー号/ サンセット・リミテッド号でそれぞれ2泊3日をかけてアメリカをほぼ1周し、壮大なアメリカ大陸を体感できました。2022年には家族が合流し、一緒の時間を過ごすことができました。家族と行ったニューヨーク旅行、ディズニーワールド、研究仲間とのBBQ、アイススケート、プロレス観戦、MLB観戦、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブは一生の思い出になりました。最後にコロナパンデミックという特殊な状況で、留学を断念したり時期を変更しなければならなくなった方が多くいると聞きます。しかし、これからのアフターコロナの中で、また留学の気運が高まっていくのではないでしょうか。私は幸い医局からの温かい支援を得て、実り多い留学生活を送ることができました。当初不安もありましたが、チャレンジして良かったと考えております。本稿が、皆さまの背中を押す一助となりましたら幸いです。留学に際しご助力いただきました皆さまにこの場を借りて感謝申し上げます。23OMPU堤 岳之 助教留学開始まで私生活

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